森林のカーボンクレジット(J-credit)申請には、伐採面積の定量的な根拠が必要だ。従来、その根拠づくりには衛星画像のダウンロード、NDVI差分の計算、林班ポリゴンとの照合、面積集計、報告書生成という一連の工程があり、GISの専門技術者が手作業で2ヶ月かけていた。
この工程を、エージェントAIとドメイン特化型のパイプラインで全自動化した。結果、千筆を超える対象林分を約3時間で処理できるようになった。本記事はその実装記録である。
汎用AIでは森林業務は動かない
ChatGPTに「この林班の今年度の間伐面積を出して」と聞いても、答えは返ってこない。森林簿のデータ構造も、衛星データのバンド番号も、林班ポリゴンの座標系も知らないからだ。
汎用AIが得意なのは言語処理であって、業界固有のデータベースにアクセスし、空間演算を実行し、定量的な面積値を算出することではない。ここに「Vertical AI」── 業界特化型AIの出番がある。
Vertical AIとは、特定の業界のデータ・業務フロー・ドメイン知識を組み込んだAIシステムを指す。2026年現在、エージェントAI市場は年40%成長と言われているが、その中でも実際に業務を回しているのは、こうした業界特化型の実装だ。
何を自動化したのか
対象はある県の複数地区にまたがるJ-creditプロジェクト。複数の森林組合・財産区・自治体が管理する千筆超の森林区画について、施業年度ごとの間伐実施面積をNDVI差分で推定し、J-credit申請書類を生成するまでの全工程を自動化した。
処理フローは6段階ある。
第1段階は対象小班の抽出だ。プロジェクト計画書のCSV(市町村・林班・小班・準林班・施業年度)と、PostGISに格納した森林計画図・森林簿の統合データベースを突合し、対象ポリゴンをGeoPackageとして抽出する。突合キーは林班・準林班・小班・整理番号等の複合キー。この突合だけでも、手作業では丸1日かかっていた工程だ。
第2段階は衛星データの自動取得。対象ポリゴンの外接矩形を算出し、API経由でLandsat衛星シーンを検索・取得する。従来はUSGS EarthExplorerの画面でKMLアップロード、日付指定、雲量確認、ダウンロードという手順をジョブの数だけ繰り返していた。これがバッチ実行で完結する。
第3段階はNDVI差分の算出。2時期の衛星画像からNDVIを計算し、ピクセル単位で差分を取る。NDVI値が低下した領域を伐採推定域として二値化し、ベクトルポリゴンに変換する。
第4段階は面積集計。伐採推定ポリゴンと対象林班ポリゴンを空間交差させ、区画IDごとに伐採面積を平方メートル単位で算出する。
第5段階はゾーン統合。広域に分散する対象区画をゾーンに分割して個別処理した結果を、属性構造を保ったまま1ファイルに統合する。
第6段階は成果物の生成。年度別CSV、申請書類PDF、PMTilesによるWebマップ、Streamlitダッシュボードを自動出力する。
技術スタックの全体像
| レイヤー | 技術要素 | 役割 |
|---|---|---|
| 空間DB | PostGIS | 森林計画図+森林簿の統合管理 |
| 衛星データ | Landsat / Sentinel-2 | NDVI算出用マルチバンド画像 |
| 解析エンジン | Python(geopandas/rasterio) | NDVI差分・空間交差・面積集計 |
| バッチ制御 | INI設定+BAT/Python | 数十ジョブの一括実行 |
| 可視化 | MapLibre+PMTiles+Streamlit | Webマップ・ダッシュボード |
| AIインターフェース | MCPサーバー群(十数種) | 自然言語→解析実行 |
このスタック全体が「エージェント」として機能する。個々のMCPサーバーが衛星データ取得、NDVI解析、PostGIS検索、位置図生成、用途地域判定といった専門機能を担い、対話型AIがそれらを自然言語の指示に基づいてオーケストレーションする。
なぜ「エージェントAI」と呼べるのか
エージェントAIの定義は「データを収集し、計画を立て、高い自律性で行動するAIシステム」だ。本システムはこの定義を満たしている。
「この林班の今年度の伐採面積を計算して」という一文から、対象小班の特定(PostGIS検索)、施業年度の確認(森林簿照合)、衛星データの取得時期の決定(DOYマッチング)、NDVI差分の実行、面積集計、結果の地図表示までが連鎖的に実行される。途中で人間が画面を切り替えたり、パラメータを入力したりする必要はない。
ただし、これは「汎用AIが賢くなった」のではない。PostGISに森林計画図の全筆を格納し、森林簿の属性を結合し、衛星データの取得APIをラップし、NDVI差分アルゴリズムを実装し、それらをMCPプロトコルで接続した──という長年のドメイン知識の構造化があって初めて動く。AIは「接着剤」であり、価値の本体はドメインデータとパイプラインにある。
実装で得た教訓
いくつかの教訓を共有する。
まず「単体で動かしてからループする」。全ジョブを最初からバッチで回すのではなく、1ジョブを完走させ、エッジケース(空ポリゴン、衛星データ欠損年、センサー世代の切り替わり)を潰してからループ構造を組む。Landsatには衛星世代交代に伴うデータ欠損期間があるが、これは単体テストを先行させていたから発見できた。
次に「パッチより全再構築」。数百筆のGPKGで数十件の属性修正が必要になったとき、パッチではなく全件再構築を選んだ。パッチは一見速いが、元データとの整合性検証にかかる工数が再構築を上回る。自動パイプラインがあるからこそ、全再構築のコストが低い。
そして「日本語ファイル名は使わない」。GeoPackageのレイヤ名やフォルダ名に日本語を使うと、Pythonの空間処理ライブラリが黙って落ちる。ASCII名に統一するだけで、デバッグ時間が劇的に減る。
従来手法との比較
| 項目 | 従来(手作業) | 本システム(自動) |
|---|---|---|
| 所要時間 | 約2ヶ月 | 約3時間 |
| 必要な専門知識 | GIS・リモセン・SQL | 自然言語で指示可能 |
| 対象規模 | 数十筆が限界 | 千筆超を一括処理 |
| 再現性 | 担当者依存 | 設定ファイルで完全再現 |
| 衛星データ取得 | USGS手動DL | API自動取得 |
| 成果物 | Excel手入力 | CSV・PDF・Webマップ自動生成 |
Vertical AIの本質
エージェントAI市場は年40%成長で2035年には数千億ドル規模に達するという予測がある。だが、この成長を支えるのは汎用チャットボットではない。業界のデータ構造を知り、業務フローに沿って動き、定量的な成果物を出力する──Vertical AIだ。
森林GISの場合、それは「全国整備済みの林班ポリゴンをPostGISで管理するデータベース」であり、「数十年分の衛星時系列データへのAPIアクセス」であり、「NDVI差分から面積を算出するアルゴリズム」であり、「MCPプロトコルでそれらを繋ぐ接続層」だ。どれが欠けても動かない。
AIに何ができるかを問う前に、自分の業界の何をデータベース化し、何をAPIとして公開し、何をパイプラインとして自動化するかを問うべきだ。Vertical AIとは、その問いに対する具体的な回答の集積にほかならない。
#エージェントAI #VerticalAI #業界特化AI #森林GIS #Jクレジット #NDVI #リモートセンシング #PostGIS #MCP #カーボンクレジット

コメント