
1. はじめに:当たり前に見える「北が上」は本当に当たり前?
私たちが学校や地図アプリで触れる「北が上」という地図の向きは、ごく自然に感じられます。しかし、その並びは文化や目的、時代により柔軟に変化してきたものであり、必ずしも普遍的なルールではありません。本記事では、宗教・文化・技術という三本柱の視点から、「地図の向き」の多様性と背景をひも解きます。
2. 地図の常識は時代と場所で変わる
▶ 中世ヨーロッパの世界観:東が上
中世ヨーロッパで主流だったのは、「T‑O 図」と呼ばれる円形世界地図です。円(O)は海を、その中に十字(T)は地中海やナイル・ドン川を表し、エルサレムを中心に、上が東(楽園=エデン)の方向を向いて描かれました
これはキリスト教的価値観に基づき、「東=聖地=神聖」という概念の反映でした 。
▶ イスラム世界の地図:南が上
一方、12世紀に活躍した地理学者イドリーシー(アル=シャリーフ・アル=イドリーシー)の「タブラ・ロジェリアナ」などは南を上に定めていました。
理由は宗教的中心地であるメッカを上位置に置くためであり、方位だけでなく宗教観も地図設計において重要視されていたのです。
3. 日本の古地図は「北が上」ではなかった?
▶ 道中図や行基図:進む方向を地図の上とする発想
日本の江戸時代に普及した道中図では、「旅の方向=地図の上」が基本でした。たとえば京都→江戸への道中図では東が上となり、旅先の進行方向に視線を合わせた構成が主流でした 。
また、平安〜鎌倉期の「行基図」にも、軸が縦或いは南北縦長の掛け軸として描かれるものが多く、いずれも北上にはこだわりません 。
▶ 明治以降:西洋式測量の導入と北上統一
明治時代に西洋式測量技術(経緯度、磁北基準、精密地形図など)が導入されると、国内統一の地図が徐々に整備されていきました。特に軍事用途を含む国家インフラ整備の中で、「北上」の地図が基準となっていきました。測量の世界的潮流と合わせ、伊能忠敬に始まる緯度・経度測量によって、全国地形図における北上統一が定着したのです。
4. なぜ北が“基準”になったのか
- 磁石(コンパス)の利用:羅針盤で北が指し示されることから、実用的に北を基準とする地図が作りやすくなりました 。
- 地球儀と経緯度:地球儀では北極・南極が固定的であることから、方位設定として北上が理にかなっています。
- 国土地理院の方針:近代地図はすべて国土地理院の規格に従い、「北が上」が標準として採択されています。
このように地図設計には「技術性」と「国際基準」が重なることで、北上が基準化されました。
5. 現代の地図にも“例外”がある?
冒頭の常識とは異なり、現代においても多様な軸に沿った地図が存在します。
- 東京メトロの路線図:見やすさを優先し、路線の角度や位置関係に応じて上下左右を柔軟にレイアウト。実際の北上とは異なる表現が日常的に使われています。
- ゲームやファンタジー地図:想像上や目的重視で、「上=領主の城」だったり、物語軸に合わせて自由な向きに変更されたりします。
6. 比較で見る地図の多様性

7. 結論:地図は文化と目的で形を変える
「北が上」という地図の軸は、世界共通の常識ではなく、一つの“選択肢”にすぎません。東を上としたヨーロッパ、中を中心とし南を上としたイスラム、日本では旅路重視や技術基準など、時代と用途によって向きが異なっていました。
今地図を見るとき、単に「北が上だから当たり前」と考えるのではなく、「なぜその方向なのか?」という問いを立てることで、その地図が何を伝えたいのか、どんな価値観が反映されているのかに気づける視点が得られます。
🧭 まとめ
地図の向きは、文化・宗教・技術・用途によって選ばれてきた「約束事」であり、「北が上」はその一例にすぎないのです。方向に込められた歴史や価値観を読み解くことで、地図の見方が一層深まります。
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